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裸に靴下
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こんにちは
及川です
みなさんは、「常識とは?」
考えてみると「常識」ってなんだかとても
ふわふわしてませんか?
だって人によって全然違うものですよね
日本の枠を越えてみるとそれはもはや「非常識」
ふわっふわしてますよね笑
さて、
アメリカで出会い、
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旅について
旅に出る前は、若い内の今しか出来ない事がある!
でも、世界で出会う人々はそんな枠を見事に取り外してくた。
50年自転車で世界を旅しているおじいちゃん。
NYで出会った世界を何週もしている元日本菓子職人のおじさん。
小学生の子供を連れ家族で世界を回る一家にも出会った。
出会う人々は、僕に新しい扉を見せてくれる先生の様なものだ。
「今しか出来ない事がある」のではなくて、
「今の自分でしか感じれない事がある」
と思うようになりました。
多分、十年後の自分が旅をしたとしても、世界の感じ方・
自分の意識次第で目に見える現実は形を変えていくから、
同じルートを辿ったとしても、
だから、旅に出るのに、早すぎる事も無いし、
10代で旅立ってもいい、30代で旅立ってもいい。
一人旅で見る景色も、友達二人旅で見る景色も、
今のあなたにしか見る事の出来ない世界がきっと広がっている。
「旅にでようかな」とフト頭に浮かぶ。
それは、ベストなタイミングでの、
酔いどれ世界一周記
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なんか、ぐっときました
彼は「旅」を介して話をしましたが、
結局「枠」は自分が創りあげたもの
僕も旅でその枠をだいぶ取り外させてもらったように思う
アインシュタインの名言で僕の好きな言葉のひとつにこんなのがあ
「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションである」
いわば僕はこの「偏見」というヨロイを身にまとって生きています
むしろこのヨロイで自分を守ってきた
でも旅に出てみるとこのヨロイがものすごく重い…
動きづらくてしょうがないんです
だから自然と裸になっていきました
でも臆病なのでなりきれず「裸に靴下」状態でしたが…
何かやりたい事があったり、アクションをおこす時にこの「偏見」
そしてさらには「常識」
自信がないからかな
このご時世にもう武器や鎧は必要ないのかも
結局何が言いたいかっていうと
「裸に靴下」はカッコ悪い
ってこと
どういうこっちゃ