及川コラム Vol.3

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   物事の向こう側

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こんばんは、及川です






さて


今回のテーマは「物事の向こう側」です



これは僕が普段ちょっとだけ意識している事です




まだまだ身についていないですが


旅をしている中でだんだん自然に感じるようになっていきました




どういう事かというと




自分が今見えているもの、感じているものはその物事のほんの一部分でしかない


ってことです



当たり前の事なんですが意識するのとしないのとでは全然違います


それを今日は二つほどお話したいと思います
 
 





●物事の向こう側その1


これを伝えるのに何かいい例えはないかと考えていると

5年くらい前に起業家の鶴岡秀子さんという方がこんな事を言っていたのを思い出しました





「真ん中も右から見れば左」






これをうまく説明できるかわからないですが、
 


例えばテーブルの真ん中辺りにコップが置いてあったとしたら自分から見たらそのコップは目の前(真ん中)にあっても右にいる人からすれば左にある
 


左にいる人に聴くと右と答えます
 
 



もっと言うと、右にいる人は長方形だと答えるが上から覗いている人には円にしか見えない

ここから見ると無地のコップだが反対側にいる人に聴くと模様があると答える
 




それがどんな形でどの位置にあるかは自分の立ち位置からだけではわからないということです

結局自分の立ち位置によって見える範囲は限られているってことで




当たり前ですよね




当たり前のことなんですがこれを物事に当てはめて意識すると自分と違う意見を言う人の事を受け入れられるようになってきたんです



昔は右にあるコップを見て「あれって右だよね」と決めつけてました

だからそれを「あれは左だよ」と答える人がいると「いや、どう考えても右でしょ」と心の中で思ってたりしたんです


でも意識するようになってからは「あ、あの人から見ると左に見えるんだ」と興味が湧いてきたんです


そしてどれくらい左なのか、どんな形なのか、


詳しく聞けば聞くほど、いろんな人に聞けば聞くほどそのコップが立体的になっていって、コップの全体像が見えてくるんです

そして、コップに対して自分がどの辺にいるのか自分の立ち位置がわかってくる実感があります



物事を考える時、実行する時に「自分の立ち位置を知る」ことはすごく重要だと思います。




自衛隊の訓練でこんなのがあります

目隠しをされて山の中に降ろされ、地図を渡されていついつまでにどこどこへ来い

目隠しを外して、さあスタート



あなただったらまず何をしますか?
















自衛隊の人は言ってました。時計を合わせた後まずするのは
 
 
 
 
 
 






「自分の立ち位置を知ろうとする」








何か目標があったとき自分の立ち位置を知らないとどこをどんな風に進んでいいかわからないですもんね
 
 




そして自分の立ち位置を知るには自分目線ではいつまで経ってもわかりません

まわりの情報を取り得れて自分を客観的に見ることが必要です
 
 



ということは自分と違う事を言う人の意見はとても貴重ですよね



 
 
 

僕は以前、付き合う友達を自分で選んでたような気がします


意見が合う人、フィーリングが合う人、自分が憧れる人


意見が合うということはその人も自分と近い位置でその物事を見ているので結局自分の立ち位置はよくわからないままです



もちろんそれはそれでいいと思います

共感者がいるだけで嬉しいし楽しいし



でも一歩壁を越えて今まで付き合わなかったような人の話を聴いてみると

途端に世界が広がっていきました




"それはどの位置から見ても真実なんです"





旅をする前は日本にいても日本の事、自分の事はほんと何も知らなかったんだと気づかされます


よく言う「自分探しの旅」みたいなカッコつけたセリフなんか言いたくないですし、そんなつもりで旅してたわけじゃないんですが、


結果的には「自分を知る旅」となってしまいました







少し話が逸れた気がしますが、及川たかしさんも全然意見が合わない人がいたら「真ん中も右から見れば左」を少し意識して接してみてください。


理解はできなくてもイラ立ちは消えていくと思います。








●物事の向こう側その2


「物事の背景を知る、もしくは想像する」



これに関しては大切な事でもあり、僕自身すごく好きな事です


例えばどんなことかというと

いつも乗る電車の駅員さん、コンビニの店員、ガソリンスタンドのおにーちゃん

そんな一瞬関わっただけの人でも「人」と意識して接するということです



なにいってんの?


て思いますよね…


ただの駅員さん、ではなくて「駅員の鈴木さん」として接するということです


 



旅中にはそれを特に意識するきっかけになるような出来事がありました



その時の記事

↓↓↓↓↓↓
キューバ
http://ameblo.jp/donkyu-mako/entry-11264120719.html




たまたま出会ったタクシーの運転手マルコス

ほんとに送り届けてくれるのか不安でいたんですがマルコスの生まれ育った環境を見てすごく安心しましたし、優しい気持ちで接する事ができるようになりました


そう考えると多少態度の悪いガソリンスタンドのおにーちゃんにもいちいち腹立たなくなりますし、こちらが人として意識して名前で呼んでみたりすると逆にいいサービスが受けれたりします

ガソスタのおにーちゃんから見たら僕は「ただの客」でしかないわけですからね

だから自分が人として意識する事で相手にもこちらが人である事を意識してもらえるようになるんです

それってなんか気持ちいいと思うんです







「物事の背景を知る、もしくは想像する」



僕は旅中に景色を見る時も見る前に少し歴史を調べて想像してまし


だからペルーのマチュピチュも、がっかり名所と言われるナスカの地上絵もすごくロマンがあって感動しました




つい先日アスリンメンバーで「TEDxMeieki」というイベントに参加してきました

そこでプレゼンターのひとり、建築家の手塚貴晴さんが言ったこと


「夜景を見るときれいだと思いますよね?でも何がきれいかというと、あのひとつの灯の中に家族が鍋を囲んでいて、あの動いている灯はカップルが車でデートをしているかもしれない。そこには人々の生活があり、生命の営みがある。」


この言葉にすごく共感と感動を覚えました



僕も一年前トルコのカッパドキアで全く同じ事を思いながら夜景を眺めていたのを思い出しました


その時の記事

↓↓↓↓↓↓
人間と自然は仲間?
http://ameblo.jp/donkyu-mako/entry-11456631896.html







そう考えると、普段見過ごすような何気ない景色もなんだか哀愁があって美しく見えてきたりしませんか?