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宗教について
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こんにちは 及川です
準備はよろしいでしょうか?
この時間は一息ついて、心置きなくほじり倒して下さい
さっそくですが、
あなたは神を信じますか?
僕は無宗教です
神様の存在なんて全然信じていないひねくれもんです
そのくせ正月には神社でお賽銭を入れて神様におねだりし、
そんな矛盾に薄々気づきながらも無宗教だと言い張っているんです
旅に出る前は宗教に対してどうしても閉鎖的なイメージがあり拒絶
日本では特にカルト集団のイメージも強いですよね
でも僕が周った世界52ヶ国の内で日本のように国民の大半が無神
旅中によく現地人に
「自分は○○の教えを信じていて、こういう考え方なんだ。
と聴かれ、返答に少し躊躇した記憶がたくさんあります
世界的には、「無宗教の人=信頼性に欠ける」
いろんな文化の中でたくさんの疑問はあるにせよ宗教に対するイメ
僕が無宗教である事は変わりませんが、
むしろすばらしいものだと感じています
それはその宗教の教え・
「本気で信じられる」
「心のよりどころがある」
その事自体がその人の人生、
困難にぶち当たってもプラスに転換しやすいと思います
これまで旅してきていろいろなものを見てきました
マヤ文明、マチュピチュを造ったインカ帝国、
人の力では到底不可能だと思われるような事が実際人間の手によっ
最初は「
「本気で信じる」
そのパワーは奇跡のような事も起こす力があるように思います
それは言い方によっては「洗脳」
本気で信じる事で脳をトランス状態にし潜在能力を引き出す
それはプラスに働けば心理学的、脳科学的にも有効だと思うし、
そういう意味では自己啓発も一緒だと思います
これは悪い意味ではないです
実際僕もこれまでに自己啓発本(
それにまだ読みたい本もいっぱいあります
宗教もいわば哲学であり、「ものの考え方」だと思います
「誓約付き自己啓発」とでもいいましょうか
この誓約がどうしても閉鎖的なイメージが強いですよね
ヒンドゥー教は牛は食べられない
とか、
とか、たくさんの制限がありますよね
実際にイスラム教の女性と話す機会に恵まれ、
すると答えは想像していたものとは違う答えでした
その時の記事
↓↓↓↓↓
http://ameblo.jp/donkyu-mako/
彼ら彼女らにとっては誓約・制限はプラスに働いていて、
自分を見失わない為の道標のようなものなのかもしれません
そんな素晴らしい宗教ですが、
僕が恐れている事はひとつ
「それだけが正しい」
これがほんとに怖いです
争いは全てここから始まってるんじゃないかと思う
これは宗教に限ったことじゃなく全ての考え方に言えることかも
仕事や人づきあい全部
リハ業界に限ってもいろんな手技や派閥があって各々が他を受け入
むしろけなしあっている場面をよく目にします
他を否定することで自分を正当化しようとする防衛反応は先輩から
とにもかくにも
「他を認める」
平和があるんだとしたらこれなくしては有り得ない
ひとりとして同じ人間はいない
同じ人間である必要はない
そう思います
宗教であれ自己啓発であれ、必要な人もいれば必要のない人もいる
これも正しいし、あれも正しい
僕は自分に枠組みを作らないことでいろんな事、
そしてできあがっていく自分の考え方に「信じる力」
と思っています
…
すみません、話が長すぎて鼻から血が出てませんか!?
最後まで読んで下さり本当にありがとうございました!